2024/09/05
日常の仏教語(23) 【皮肉】(ひにく)
誰かの問題点を指摘しなければならない時、相手が傷つかないようにと配慮して遠回しに伝えることもありますね。うまく伝わってくれるといいですが、「皮肉」ととらえられてしまうことも。この「皮肉」、仏教に由来する「皮肉骨髄」という言葉が元になったとされ、禅を中国に伝えた達磨大師とその弟子との間に「皮肉骨髄の話」という次のような逸話があったと伝えられます。
― あるとき、達磨大師が、4人の弟子に仏教についての質問をすると、弟子たちはそれぞれ自分なりに答えました。大師は1人目の答えを聞くと「お前は私の皮を得た、合格」と告げました。同様に、2人目は「肉」、3人目は「骨」、4人目は「髄」を得たとして合格を言い渡し、それぞれが自分の教えを受け継いだと認めました。
― このエピソードから皮肉骨髄は、「宗祖の信念・思想・人格などのすべて」を表す言葉と言われます。達磨大師は皮・肉・骨・随に優越をつけなかったともされますが、「皮肉」は「骨髄」に比べて体の表面に近いため、理解が浅いという批判として使われるようになり、転じて遠回しに意地悪く非難することを指すようになりました。
物事を言葉で伝える際、相手を思いやる配慮は大切です。しかしそれで表層的なことしか伝わらなければ、かえって誤解を与えることもあります。私たち自身、「皮肉」だけでなく「骨髄」までしっかりと伝えられるよう心がけたいですね。
(引用:浄土宗新聞 令和6年2月号)